@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00010282, author = {並松, 信久 and NAMIMATSU, Nobuhisa}, journal = {京都産業大学論集. 社会科学系列}, month = {Mar}, note = {わが国では2018年度から種子法の緩和によって公的育種事業の存続が危ぶまれている。本稿は日本の公的育種事業を担ってきた農業試験場体制の確立過程を追い,公共が担う育種事業の特徴を明らかにした。これまでの先行研究では,農業試験場の形成や品種改良の展開について明らかにされているが,育種事業の公共性については明らかになっていない。  明治期以来,主要な穀物の品種改良は,政府や地方自治体などの公共部門によって推進されてきた。当初は,政府によって官設試験場が設立されたが,欧米農法の紹介にとどまった。しかし,ほぼ同時期に実施された欧米視察の影響を受けて,系統的な試験研究の重要性が強調された。そこで政府は国立農事試験場を発足させ,試験研究の重点化を推進していった。国立農試の設立後に,地方自治体によって各道府県で農事試験場が設置された。府県農試は応用・普及に重点を置き,国立農試は基礎的な研究に重点を置くということで,府県農試は国立農試の下部組織として構想された。しかし,実質的には地域性を重視した独自の試験研究が進められた。その一方で,試験研究は個々別々に切り離されたものではなく,試験研究の系列化も進められた。この試験場体制による代表的な成果が稲の統一品種であった。  これまでの育種事業の経緯をみた場合,ほぼすべてを公共部門に依存してきたため,民間企業の参入による影響は未知数である。公共と民間との棲み分けが明瞭でなければ,民間部門になし崩し的に移行する可能性は大きく,その場合は大きなリスクをともなう。世界各地では公共部門によって「種子銀行」がつくられる潮流にあり,わが国も公的な育種事業や試験場体制の見直しが求められる。}, pages = {3--35}, title = {近代日本における農業試験場体制の確立 : 育種事業をめぐって}, volume = {36}, year = {2019} }