@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00010585, author = {並松, 信久 and NAMIMATSU, Nobuhisa}, journal = {京都産業大学論集. 社会科学系列}, month = {Mar}, note = {沖縄では日本の廃藩置県から8 年遅れの1879(明治12)年に,廃藩置県にあたる「琉球処分」が行なわれた。それによって沖縄県が設置されたが,中国・清との帰属問題が決着したのは1895(明治28)年であった。1879(明治12)年から1895(明治28)年まで,帰属問題が未だ決着をみない中で,日本政府は沖縄における地方制度の整備に着手した。 しかし,地方制度の整備は本土と異なる展開をとり,「本土並み」ではなかった。沖縄の特徴のひとつは,旧慣制度が温存されたことであった。明治政府は旧支配層の懐柔を図るために,旧慣制度をできるだけ利用し,中央集権体制を強化しようとした。しかし,明治政府の意図と沖縄の現状はうまく結びつかなかった。地域経済,文化,教育などで多くの問題が生まれた。とくに問題の焦点となったのは,生活困窮者や社会的弱者の救済であった。 沖縄の地方制度改革に大きな影響を与えたのは,内務書記官の一木喜徳郎(1867‒1944)であった。一木は現地調査後に,『一木書記官取調書』という報告書をまとめた。先行研究では,一木は明治政府によって派遣されたので,その目的は沖縄の地方制度を整備して,中央集権体制に組み込むことであるとされてきた。しかし,一木は沖縄の独自性に関心をもち,それを有効に活用することを説いた。とくに窮民救助に対して旧慣制度が有効に機能していることを強調した。この点で中央集権体制を強固にするために旧慣温存を図るという明治政府の意図とは大きく異なっていた。もっとも,明治政府は窮民救助には消極的であったため,一木の主張が有効であったともいえる。}, pages = {3--33}, title = {明治期沖縄の地方制度と窮民救助 : 一木喜徳郎の旧慣温存策}, volume = {38}, year = {2021}, yomi = {ナミマツ, ノブヒサ} }