@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00010612, author = {並松, 信久 and NAMIMATSU, Nobuhisa}, journal = {京都産業大学日本文化研究所紀要, THE BULLETIN OF THE INSTITUTE OF JAPANESE CULTURE KYOTO SANGYO UNIVERSITY}, month = {Mar}, note = {社倉は窮民救助を目的とする備荒貯穀制度のひとつである。明治初期に新政府は備荒貯蓄の構築をめぐって混乱していた。そこで、全国の多くの地域では旧幕藩体制下でつくられた社倉に依存せざるをえなかった。しかし、社倉がなかった京都では、地域の自助努力が必要であった。京都では社倉が1871(明治4)年の設置から1881(明治14)年の廃止まで、約10 年間にわたって存在した。京都の社倉は存続期間が短かったので、先行研究は少ない。 そこで本稿は、京都の社倉の設置や運営について考察した。京都の社倉の特徴は、三つあった。一つは、郡を単位とし大庄屋・村庄屋などの富農層を中心とする農業資金貸付機関といえるものであった。二つは、旧来の自然村がもっていた相互扶助組織としての特徴をもっていた。三つは、他の事業や産業と関連をもっているという特徴であった。社倉の廃止の原因は、備荒儲蓄法の公布(1880 年)、槇村正直知事の離任(1881 年)缺減米の増加などであった。京都の社倉規則は廃止されたものの、相互扶助の精神は生き続けた。}, pages = {266--234}, title = {明治初期京都における備荒貯蓄の制度化 : 窮民救助と相互扶助}, volume = {26}, year = {2021}, yomi = {ナミマツ, ノブヒサ} }