@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001230, author = {若井, 勲夫 and WAKAI, Isao}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {「学校唱歌、校門を出でず」という句が明治時代に広く言われていたと、唱歌の意義を否定的に捉える教育史学者がいた。しかし、私がその出典となる史料の提示を求めても、それは存在せず、ただ当時、ことわざのように口に上っていたと答えるだけであった。この造り文句がその後もひとり歩きして今なお引用されることがしばしばある。そこで、私は明治生れの文学者を主に、作品の中に唱歌を歌う場面をどのように取り入れ、日本人のどのような感情や感性を込めて表現しているかを実証的に明らかにしようとした。ここで、唱歌を中心にしながらそれに限定せず、童謡、わらべうた、讃美歌、寮歌、また俗謡などを含めて、歌に関心を持ち、互いに影響し合いながら、独自の文芸世界を表していることを究めた。また、これらの歌が文章、文体の中で効果を挙げ、国語の表現の特色、国語そのものの特質をも示していることを跡づけた。 このように、日本人の精神史、また、国語の文章文体論の一環として、唱歌を中心とした歌謡の意義を研究するのが本稿の趣旨である。  本稿は国語としての表現に重点を置いた歌謡論であり、具体的に歌の場面を取り上げ、文脈上の解釈とその意義、価値を考察する。従って、 文例の引用や説明が多くなっている。しかし、単なる平板な事実の羅列ではなく、そこに作者の表現意図や表現効果を分析し、情景や心情を探 ろうとした。また、論及する作家は個別的で、個々の脈絡はない。しかし、一人一人の唱歌に対する自覚と意義が創造に向い、表現として定着した。そこに「詩の自覚の歴史」「心の歴史」という主体的な意志があったことも明らかにしようとした。  本稿は別誌(「京都文教短期大学研究紀要」三五ー四〇、平成八ー十三年。「唱歌と現代文学」一ー六)に連載し、二百六十枚に達した後、昨年、本誌第三〇号に補遺として掲載していただいた。今回はその続篇で、あと一回で完結する。これに全体のまとめとともに、年次別の曲目や 筆者の索引類を付す予定である。}, pages = {274--260}, title = {唱歌と現代文学(中)}, volume = {31}, year = {2004} }