@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001245, author = {若井, 勲夫 and WAKAI, Isao}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {明治十五年に始まった唱歌教育の意義を否定し、児童は学校で習った唱歌に関心を示さず、学校の門の内だけのものに過ぎなかったと、史料も出さず説き続けた教育史学者がいた。しかし、その初期においてこそ態勢が十分に整わず、平凡で陳腐な歌もあったが、事実は、子供は唱歌に親しみ、日常の家庭や遊びの中で歌い、楽しんできた。これは明治に限らず、大正、昭和に至るまで変らぬ日本人の姿であった。このことを主として、明治以前、明治生れの文学者を中心にその作品の中からその記述を取り出し、具体的に唱歌をどのように受け入れてきたかを検証し、その意義、即ち、そのことが作者や作品の中でどのように位置づけられるかを論評してきた。その上に、唱歌の受容だけでなく、その内面にある、詩たる唱歌を理解し、作品に表現しようとする意識にも目を向けて、唱歌を詩として自覚し、自己のものとして表現する精神の過程、つまり、日本人の心の歴史をも明らかにしようとした。また、唱歌の言語表現を通して、国語表現や文体の特質、日本人の表現意識も究めた。さらに、作者が唱歌の字句を引用する時、記憶に頼って書くことが多く、誤っていることがよくあるが、その中にも国語の表現に適った誤解の仕方があることも分析した。  前稿(京都文教短期大学研究紀要三五―四〇、平成八―十三年、「唱歌と現代文学」一―六)に加え、本誌(三〇・三一・三三、同十四―十六年、「同」上中下)の全九編を通して取り上げた作者は九十名に達した。本稿では終りに、作者名を生れ年の順に索引代りに記し、また、三名以上が取り上げている四十二の唱歌を年次別に並べた。それを唱歌教科書の発行年との相関関係を調べ、明治二十年半ばから三十年代の間に唱歌教育が充実、発展したことを裏づけた。}, pages = {184--166}, title = {唱歌と現代文学(下)}, volume = {33}, year = {2005} }