@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001259, author = {三好, 博之 and MIYOSHI, Hiroyuki}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {計算は何らかの意味で変化を伴うがゆえに時間と深い関係がある。通常コンピュータ科学ではあらかじめ時間モデルを固定し,その上で計算における状態の変化を記述する。しかし一歩踏み込んで考えてみると,計算に現れるような変化と時間との関係は必ずしも明確とは言えない。素朴な観点から見ると変化は時間を基準としてとらえられるが,そもそも時間は何かとの比較により計られるものであり,その比較自体がある変化を伴う行為であるために変化と時間との関係は実際には相互依存的な形を採ることになる。  我々は前の論文において,計算の文脈でこれに相当するような関係が,自己参照を伴うある種の計算を考察することで露わになることを見出し,これらを適切に取り扱うためにいくつかの形而上学的装置を導入した。本稿ではそれらの枠組みに基づいた時間についての議論を実際にどのように行うべきかについて議論する。  さらに,時間論において必ずといってよいほど引用される議論にJ.M.E. マクタガートの「時間の非実在性」の論証がある。入不二基義はその著書『時間は実在するか』[2]において,このマクタガートの論証を丁寧に解説した上でその成否を議論し,そこから自らの形而上学を導き出している。ここではその「第四の形而上学」を我々の概念装置を通じて読み解くことにより我々の議論に深いつながりを有していることを示す。}, pages = {55--70}, title = {計算の哲学から見た時間}, volume = {35}, year = {2006} }