@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001265, author = {若井, 勲夫 and WAKAI, Isao}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {明治十五年に唱歌教育が始められて百二十年、そのうち戦後六十年は音楽教育に取って代られた。しかし、唱歌に対する日本人の情熱は今なお静かに在り続け、一定の国民意識を形成している。ここに、どのような日本人の感情や思想があるのだろうか。唱歌に関わる生き方や考え方、感じ方を敢えて唱歌文化と名づけるならば、この文化的な姿勢や態度、また、文化意志の根底にあるものは何か。本稿は唱歌を文学の一分野と見直し、その言語としての表現を中心に、どのように受容されてきたかを調べてきた。平成八年に執筆を始め、最初の六編を「京都文教短期大学研究紀要」三五―四〇集に発表、引続いて、同十四年から本誌三〇、三一、三三号の三編に補遺を重ねつつ連載した。本号はそのまとめとして、新たな補遺を加え、唱歌がどのような作品・文章の分野に、どのような形態で表されているかを類型別にして考察した。さらに、唱歌を受け容れ、それをどのように捉え、自身の生きる態度や、考え、感じる意識に生かしたかを、同じく分類して、その精神の在り所を分析した。これは明治以降の日本人の精神史の一面をも表すことになった。歳月を経て忘れ去られた唱歌が多い中に、今も長い生命力を保って歌われる唱歌にはそれだけの価値があり、そこに日本人の歌謡に対する捉え方の特色があるはずである。本稿は音楽や楽曲としてでなく、あくまで韻文たる唱歌における言語表現、言語意識に重点を置いて、言語主体(話し手・書き手)の唱歌に対する捉え方に重点を置いてきた。その捉え方は唱歌の受容の仕方であり、ここに精神史の一面を見ようとしたのである。}, pages = {216--197}, title = {唱歌と現代文学(下の二・完)}, volume = {35}, year = {2006} }