@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001292, author = {瀬邊, 啓子 and SEBE, Keiko}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {1998年,南京の作家である朱文を中心として,“断裂”行動と呼称される活動が行われた。この活動は全国の青年作家73人に対して,13項目のアンケートを送付し,その結果を公表するというものであった。本稿ではこの活動が直面していた現実と目指した理想を通して,“断裂”行動の意義と結果について分析を行った。  “断裂”行動のアンケートの内容は,既存の文壇に対しての不満や自由な創作が行えない環境への批判,評論家の未成熟さを指摘するものなど,多岐にわたっていた。アンケートの文面は,いずれも否定的な回答が出るようにアンチテーゼの形式がとられており,その上“根本的”という文言が入れられるなど,アンケートの結果が恣意的に否定的なものになるように導かれていた。またアンケートの最後の項に,朱文特有のユーモアを込めた「遊び」の質問を設けていた。この質問は朱文による既成概念への挑戦でもあったが,朱文の作品スタイルそのものであり,また“断裂”行動の性格が排他的であるということを象徴するものでもあった。  この活動を通して,朱文たちは金銭面や創作環境を含む青年作家の置かれた状況への不満を表明しただけではなく,当時の中国文壇への挑戦を表明した。この行動は,既存の体制にあらゆる面から否やを唱えた「拒絶」の表明であったのである。  ポスト“断裂”行動としては,朱文たちは叢書の出版など活動を継続してゆくのだが,活動は次第に尻すぼみになる。一方,韓東は橡皮文学網を創設するなど,冷遇されている青年作家,特に詩人への積極的な支援を行っていた。その活動は成功したとは言えなかったが,韓東の活動は継続されてゆく。つまり“断裂”行動は朱文が始めたものの,すぐに朱文はカリスマ的な性質を持ったシンボリックな存在と化し,活動そのものは韓東が引き継いだと言っても過言ではない。このことは“断裂”行動の最中にも見られるのだが,ポスト“断裂”行動としては完全に活動の主体が韓東へ移動したと言える。  そして“断裂”行動が大きな力を持ちえなかった理由としては,この行動は朱文を支持する仲間内の行動にとどまり,彼らが積極的に外部に働きかけなかったことにある。本来であれば影響力を持った人気作家の参加を求めれば,活動をより広く展開できたであろう。しかし彼らはそういった既存の作家に対しても否定的な態度を取っていたために,“断裂”行動は「閉じた」活動で終わってしまい,継続的な活動も非常に限定的で公的な力を持ち得なかった。つまり“断裂”行動は世代の断裂の宣言ではなく,自他の断裂であり,すべての体制への「拒絶」の宣言でもあったと言えるのだ。}, pages = {56--78}, title = {"断裂"行動 : その理想と現実}, volume = {39}, year = {2008} }