@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001308, author = {若井, 勲夫 and WAKAI, Isao}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {本誌第三十八号(平成二十年三月)で童謡の四編(「赤靖蛤」「七つの子」「雪」「背くらべ」)を取上げ、従来、いろいろな解釈が出され、ことに最近、学問的に根拠のない俗説に興味が持たれる現状に決着をつけるべく、国語学・国文学の研究に基づき、歌詞の言葉と表現を言語主体の意識や感覚を中心に精しく分析し、作品の構想や主題を明らかにした。本稿はこれに引続いて、わらべ歌の「かごめかごめ」「通りゃんせ」の二編を取上げる。  「かごめかごめ」は江戸時代後期、十八世紀後半から十九世紀前半に遡れるが、歌詞の一部と遊戯の方法が現行のものと違っている。本稿は江戸期のものを参考にしながら、明治期の歌詞を遊戯に絡ませて考察した。その前提として、わらべ歌を解釈する基礎的な方法と注意を説いた。続いて、一句一語ごとに語構成と意味の派生を基本にその意味の原義、意義を考証し、また、特に従来、不足していた文法的語法的な分析をもとに論証し、疑問点を解決した。併せて、そこに子供の言語意識と言語感覚がいかに働いているかを探った。また、歌詞の言葉がどのような過程で変化したかを言葉遊びの観点も入れて考え、そこに、国語の特質、また、子供なりの思考の特色を見出そうとした。語釈に続いて、全体を会話体で通釈し、全体的な構造を明らかにして、この歌の主題を江戸期のものと合せて考察した。  「通りゃんせ」は江戸後期に短い歌詞で行われ、明治中期に原型ができ、大正期に現行のものが編曲された。この由来について諸説を紹介したが、根拠は十分でなく、既に説かれている天神信仰とともに、それに関連する寺子屋教育の視点を導入して、歴史的に天神の受容の意識として位置づけした。続いて、一句一語ごとに意味を語の成り立ちから究めた。特に、「行きはよいよい帰りは恐い」の中心的な表現は民俗学の立場から十三詣の行事を初めて援用して、子供の本質的な意識や心情を明らかにし、「恐いながらも通りゃんせ」の表現意図も究明した。そうして、全体の通釈を施した後、この歌における問答形式の意味を言語表現の本質から考えて、子供の自問自答とも解せられるとした。このことは、これらの語句がことわざや歌謡曲にも使われることと結びついて、ここに日本人の思想と行動の一面があるのではないかと考えた。}, pages = {256--241}, title = {童謡・わらべ歌新釈(中)}, volume = {40}, year = {2009} }