@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001345, author = {辻田, 智子 and TSUJITA, Satoko}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {謝鉄驪(1925-)は北京電影製片廠所属の監督である。文革時期5本の革命模範劇の映像化に関わった。小説『海島女民兵』を基に脚本『海霞』を書き上げ,自ら監督して映画化しようとする。しかし革命模範劇の映像化を命じられたため,『海霞』の撮影は銭江らに託し,折に触れて撮影の指導をする。  1975年1月にフィルムが完成し,文化部が審査するが,「三突出」の原則を守っていないなどの理由で上映が許可されなかった。また審査前のフィルムを周恩来をはじめとする指導者が見たことによって,問題が複雑化する。映画の表現上の問題が政治問題に格上げされ,謝鉄驪らは批判の対象となる。1975年7月頃から文芸政策が緩和される動きが起きると,鄧小平の主導で中国共産党中央政治局による『海霞』の審査が行なわれ,7月31日,『海霞』の上映が決定される。  上映決定後,江青グループは『海霞』を鄧小平と結びつけて批判運動を展開しようと試みるが,直接的な関係を示す事実に乏しく大々的に展開できずにいた。大規模な批判大会を計画していたものの,1976年10月6日の「四人組」逮捕によってその計画は実現不可能となり,文革終了直後『海霞』の「名誉回復」がなされる。  本稿は『海霞』の制作から審査,上映許可までの過程,上映許可後の動向について事実関係を明らかにし,考察しようとするものである。それによって文革期の文芸政策がどのように行われていたのかの一端を解明したい。}, pages = {213--236}, title = {文革期文芸の一側面 : 映画『海霞』をめぐる問題}, volume = {43}, year = {2011} }