@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001376, author = {若井, 勲夫 and WAKAI, Isao}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {話し手自身の意識、感情、立場など主体的な要素を絡めて表現 するのは国語の特質であるとともに、日本人の特質である。その 中で、動詞による表現を、言語主体が行為や状態を主観的に捉へ て表すか、言語主体に関はらないで自然に成立したと客観的に捉 へて表すかを区別して考へることが解釈の重要な手懸りになる。 本稿では、前者を「こなた」、後者を「かなた」と名づけ、それ ぞれが単独で、また、両者が関係し合って作用し合ふ意味構造を 考察し、解釈するのが主眼である。前稿では、こなた・かなたの 観点、こなたからかなたへ、逆に、かなたからこなたへ転換する 観点、両者を総合的に表現する観点に分けて、歌文について文法論を基盤に解釈し、古代の表現の発想と根本的な観念を考察した。  本稿はこれに続いて、まづ前稿を発表した後に、いくつか追加すべき内容があり、補遺の形で新しく歌文を取上げ、解釈した。 前稿の考へ方の修正はなく、用例とその考察を各項に配置した。これによって、論旨がさらに明確になった。  次に、芭蕉の発句と俳文について、同じ観点に基づき、芭蕉の 表現の根源にある発想を究め、その語法と文法を俳諧の構造から明らかにし、表現意識と創作意欲を考察した。主な論点は次の通りである。(1)芭蕉は一つの句であっても推敲を重ね、いろいろ異形がある。その中で自他の動詞による表現的意味を探る。(2)自然の状景を詠む時、その力強さを意識して、また、俳文で改まった気分で書き始める時、こなたの表現になる。(3)自然の力がわが身にはたらきかける時は、かなたからの表現にな る。(4)従来、他動詞の自動詞的用法とされてきた句は、こなたとかなたとの関はり、かなたからこなたへの作用と捉へた表現であり、そこに自然の力を感じ取ってゐると解することができる。(5)有名な句で諸説があるものを、こなた・かなたの観点 の転換から考察するとよりよく理解することができる。   以上、古典の歌・文章、また、芭蕉の発句・俳文を通じて、国語のこなた・かなたの観点による表現は国語の根底をなし、そこに日本人の考へ方、感じ方の特徴が存してゐることを明らかにし得た。}, pages = {414--389}, title = {「こなた・かなた」の観点による解釈と文法(下)}, volume = {45}, year = {2012} }