@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001382, author = {並松, 信久 and NAMIMATSU, Nobuhisa}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {比嘉春潮(1883-1977,以下は比嘉)は明治期から昭和期にわたって活動した,沖縄史に関する研究者である。研究者としてのみでなく,社会主義運動家としても,エスペラント語の普及者としても知られている。比嘉は沖縄師範学校卒業後,小学校教諭となり校長にもなる。そして小学校校長を辞したのち,新聞記者,さらに沖縄県吏となっている。1910(明治43)年の伊波普猷(1876-1947,以下は伊波)との出会いによって,沖縄史に関心をもつ。1923(大正12)年に上京して出版社の編集者となり,柳田国男(1875-1962,以下は柳田)のもとで民俗学に関心をもつ。その一方で社会主義運動との関係をもち続ける。  上京後,民俗学を通じて沖縄研究を深めていく。しかし比嘉の場合,民俗学の視点からの沖縄研究だけではなく,社会主義運動との関連から,社会経済史の視点からの研究も多くみられる。その業績は戦後に数多く出される。この沖縄研究にあたって比嘉は自らを「インフォーマント」(informant)と語る。しかしながら『比嘉春潮全集』全5巻(沖縄タイムス社,1971-1973年)というぼう大な研究業績から,比嘉が単なるインフォーマントであったとは考えにくい。これまで比嘉に関する研究成果が出されているものの,多くの先行研究では,伊波や柳田からの「影響」とされることによって,比嘉のインフォーマントとしての役割と,研究者としての活動とが,つながりのないものになっている。  本稿ではこの比嘉の活動期を大まかに,(1)脱沖縄の意識と沖縄回帰の二重の矛盾のなかで キリスト教からトルストイズムに傾倒していった時期,(2)1910(明治43)年の伊波との出会いをきっかけとする沖縄史への関心を深めた時期,(3)社会主義運動の先駆者となった時期,(4)柳田との交流をきっかけに民俗学研究に取り組んだ時期,(5)戦後になって数多くの著作を発表した時期などに分けた。そしてこれらの活動期にしたがって,比嘉というインフォーマントの存在が,沖縄研究にとって重要な役割を果たしたことを明らかにした。比嘉は沖縄固有の文化や方言などの情報や資料を「客観的」に提供することで,沖縄の歴史を伝える研究者となった。比嘉はインフォーマントとして沖縄の「個性」を表現した研究者であるといえる。, 1 はじめに 2 沖縄史への関心 3 社会主義思想への傾斜 4 インフォーマントの意識 5 民俗学との出会い 6 インフォーマントと研究 7 沖縄民俗研究への取り組み 8 戦時下の沖縄研究 9 社会経済史的な視点 10 結びにかえて}, pages = {79--112}, title = {比嘉春潮と沖縄研究の展開 : インフォーマントとしての役割}, volume = {46}, year = {2013} }