@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001397, author = {若井, 勲夫 and WAKAI, Isao}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {高雄山神護寺所蔵の「和気氏三幅対」と呼ばれる書は、三名の和気氏の肖像画に賛を記したものである。江戸時代初期に、神護寺と関はりの深い和気清麻呂の後裔に当る半井瑞雪は、神護寺の復興に寄与するとともに和気清麻呂の功績を回想し、和気医道の流れを顕彰するために、絵師に肖像画を描かせ、それに僧侶が賛の偈を書いたものを寄進した。この書が世に知られるやうになったのは医史研究家の杉立義一氏の紹介によってであるが、それも成立の簡単な説明と筆者が原案を示した筆蹟の解読と訓読文だけ であった。  そこで、筆者はこの三幅の偈について、本文の訓読、現代語訳、語釈を注釈的に綿密に施し、その成立と難解な語について補説し、史的に位置づけた。このやうな訓釈は初めてのことであり、これによって三幅対の全体像が体系的に明らかになった。以下、その要点を記す。  (1)和気真人像は、真人が誰であるか三説があったが、多く の資料に基づいて、清麻呂であると論証した。清麻呂は和気氏の祖だけでなく、和気医道の祖と位置づけられ、神護寺の本尊、薬師如来に継ぐ聖なる者として崇められた。詩偈の由来についても、黄檗山萬福寺の開山、隠元が高雄山に登った後、瑞雪の依頼により清麻呂を追薦するために作り、それを弟子の獨知(慧林)が書いた。時期は寛文年間である。(2)「真人」の解釈について、慧林が真人を讃へる詩を別に作ってゐた。また、前南禅寺の住持、英中も同じころ詩偈を作り、清麻呂の事績を述べて、真人として評価してゐた。また、半井家や神護寺に伝はる文書、江戸後期の記録や漢詩から清麻呂が真人として表されてゐる。(3) 和気時成像は、時成と明暦二年書が明記されてゐる。偈の作者の前南禅寺の昕叔についても明らかにできた。(4)和気基成像は、 基成であることは書かれてゐるが、成立時期について、書の作者 の前南禅寺の九巌が建仁寺、相国寺にも関はってゐて、万治元年以前であらう。(5)三幅像の成立時期は明暦、万治、寛文の五、 六年間である。三幅像の描き方については、真人像が本尊として の扱ひ、他の二像が脇侍の扱ひで、質的に区別されてゐる。(6) 半井瑞雪が和気医道中興の祖とされる定成を選ばず、その子の時成、孫の基成にしたのは、基成の弟から半井家本流に繋がり、基成の代が絶えたこと、それを自分の身に擬したのではないかとい ふこと、また、同世代の肖像画が他にあったことなどによらう。}, pages = {414--393}, title = {神護寺蔵「和気氏三幅対」の成立と訓釈}, volume = {46}, year = {2013} }