@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001406, author = {内田, 健一 and UCHIDA, Kenichi}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {序 :ダンヌンツィオは『死の瞑想』(1912年)の中で,死んだパスコリとの関係を回想する。二人を繋ぐ重要な接点は,古代ギリシア神話の英雄オデュッセウスであった。そして二人には,詩人と教育者という立場の違いがあった。 第1章:両者の詩人としての連帯感は,ダンヌンツィオからパスコリへの好意・評価によって,次第に友情へと発展する。対極的な世界観を持つ二人ではあるが,ギリシア・ラテンの古典文学に対する情熱という固い絆で結ばれている。 第2章:パスコリは『オデュッセウスの眠り』(1899年)で,「眠り」を通じてオデュッセウスという神話的な人物像の消滅を,また「夢」を通じて祖国や家族への情愛を表現した。 第3章:学生用アンソロジー『敷居の上』(1899年)の「序文」でパスコリは,教育者としての熱意と,弱者を思いやる社会主義的な思想を語る。また「生徒たちへの覚書」で,オデュッセウスの涙を通して,郷愁や忠犬という純粋なものを若者に伝える。 第4章:オペラ作曲家ヴェルディの追悼演説(1901年)でダンヌンツィオは,エリート主義的でナショナリズムが濃厚な教育について論じた。晩年のヴェルディと,ダンテのオデュッセウスの老いた姿を重ね合わせ,学生に資本主義的な競争心を植え付ける。 第5章:詩集『マイア』(1903年)でダンヌンツィオは,英雄の個人主義を極限まで突き詰め,俗世を超越した孤高の求道者を描き出した。そこに利他的な教育者の要素が入り込む余地は全く無い。 第6章:詩『最後の旅』(1904年)でパスコリは,夢想を実現したいという強迫観念に取り付かれた英雄が,幾つもの幻滅を味わった末に破滅する姿を,悲哀を込めて描いた。ダンヌンツィオはこの作品を絶讃し,類似した内容の悲劇『愛よりも』を1906年に書いた。 結:ダンヌンツィオは,飽くなき探求心を抱く冒険者としてオデュッセウスを描き,自己を同一化する。この理想像は,詩人の立場でも教育者の立場でも同じである。一方,パスコリは詩人として,その神話の喪失を悲壮に描く。しかし,教育者としては,その悲劇には触れず,その純粋な詩情だけを強調する。ダンヌンツィオと違い,教育者の自覚を強く持っていたパスコリは,随筆『最後の授業』(1907年)で,彼が受けたカルドゥッチの授業(内容はダンテのオデュッセウス)を振り返りながら,詩と教育の一致という理想を夢見る。}, pages = {103--122}, title = {ダンヌンツィオとパスコリのオデュッセウス像 : 詩人と教育者の立場の違い}, volume = {47}, year = {2014} }