@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001433, author = {若井, 勲夫 and WAKAI, Isao}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {本誌の前々号、第四十六号(平成二十五年三月刊)に「神護寺蔵『和気氏三幅対』の成立と訓釈」を執筆した。この三幅対とは、江戸時代初期に高雄山神護寺の開創に関はる和気清麻呂の後裔の半井瑞雪が同寺の復興に寄与するとともに、先祖清麻呂の功績を振返り、その後の和気医学の道統を顕彰するために、和気氏の三名を選び、その肖像画に三名の禅僧(黄檗宗、臨済宗)それぞれに賛の詩偈をつくり揮毫するやう依頼し、三幅対として同寺に寄進したものである。筆者はこの三つの偈について、本文を解読し、訓読して書き下し文にした上に、現代語訳をして、語釈を注釈的に施し、併せてその偈の成立と揮毫者について考証し、史的に位置づけた。  このやうな訓釈は初めてのことであったが、発表した後に判断の誤りや不十分な点があることに気づき、また新たな史実を知って書き改めなければならなくなった。しかも最近は本誌の論文が本学の機関リポジトリに保存し、公開されることになり、このまま放置すると、誤った説が定着する恐れがある。そこで、以下の四件について、改めて調査、研究をし直し、最小限の補訂をすることにした。今後は、前稿のうち本稿に該当する以外の部分と本稿とを筆者の論述とする。なほ、将来としては、いづれ成書としてまとめる予定の『和気清麻呂公景仰史』の附篇の一篇として、この補訂稿を取入れて本文を整へる。以下、修訂する概要は次の通りである。  (一)前稿で「和気氏三幅対」を奉納した半井瑞雪を「瑞雪(宗閑)、宗閑(瑞雪)」と記し、両者を同一人物と判断してゐた。しかし、半井本家の系図によりこれは誤りであることが判明し、両者は別人であったので、修正する。  (二)前稿で賛の偈をつくり揮毫した二人の僧侶は「前南禅」を名乗ってゐて、これを単純に字義通り南禅寺の前住職と判断してゐた。しかし、これは誤りで、正しくは京都五山の臨済宗で僧の重要な資格を表すものであった。よって、その説明をして修正した。このことから、三幅の絵に対する賛が出来上った時期も考証し直して改めた。  (三)「和気氏三幅対」と同じころに前南禅の僧が偈を揮毫した「和気清麻呂公像」の依頼者と画家の名は前稿で記したが、どういふ人物かは不明で説明しなかった。しかし、今回、調査を進め、推定できる程度に達したので補足した。  (四)前稿を執筆する段階では三幅対を描いた画家については、不明であり、触れることはしなかった。しかし、その後、徳川三代将軍、家光がその三幅の賛偈が完成した十、二十年前、半井成忠に狩野三兄弟の描く「三幅一対」を下賜してゐることが分った。この両者が同一のものかどうか、さうであるならば三幅対の作者は狩野三兄弟といふことになる。しかし、そのやうに断定する史料に乏しく、画家についてはやはり不明で、今後の課題であるとした。}, pages = {440--431}, title = {神護寺蔵「和気氏三幅対」の成立と訓釈(補訂)}, volume = {48}, year = {2015} }