@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001640, author = {所, 功 and TOKORO, Isao}, journal = {京都産業大学日本文化研究所紀要}, month = {Mar}, note = {後桜町天皇時代に有識公家として活躍した柳原紀光(旧名光房、一七四六ー一八〇〇)は、詳細な日記と膨大な資料を残している。それを活用した編年史書『続史愚抄』全四十八巻は、つとに新訂増補国史大系に所収され、亀山天皇朝から後桃園天皇朝に至る朝廷史研究に多大な貢献をしている。  一方、その日記は『愚紳』と称され、早くも数え十一歳の宝暦五年(一七五五)から晩年まで四十五年近く書き続けられている。しかも、その大部分が三種類の写本として現存する。一つはA西尾市岩瀬文庫所蔵の巻子本(酉ー八)、もうーつは同文庫所蔵の冊子本(一四八ー八六)、いまーつはC宮内庁書陵部所蔵の冊子本(柳-〇二〇三)全二十六冊である。しかし、それらは宮内省編『天皇皇族実録』(桃園・後一桜町・後桃園・光格の各天皇実録)などに部分引用されるのみで、まだ全文が翻刻出版されるに至っていない。  そこで、三写本の複写を取り寄せ、とりあえず後桜町天皇の践酢から即位式までの部分を対比した。すると、この三写本は、単に同文を転写したものではなく、写すたびに記事の表現が手直しされている。その順番は、おそらくAからBを経てCに至ったとみられるが、BでなくAからCに至ったとみられる部分も少なくない。  よって、本稿では宝暦十二年七月の弟君崩御から翌十三年十一月の即位式までのうち、広義の即位儀礼に関係する主な記事を、三本対比して翻刻する。ただ、三本ほぼ同文ならば一本のみ、二本がほぼ同文ならば主要な一本のみを起こして、他本の校異を傍注する。尚、読み易くするため、ほとんど常用漢字を用い、仮に句読点・返点等を加え、適宜改行する。宝暦十四年六月二日の「明和」改元関係記事は、別稿(『熱林』第六十四巻第一号)に対比翻刻を予定している。}, pages = {30--54}, title = {柳原紀光日記『愚紳』抄 : 三写本対比}, volume = {20}, year = {2015} }