@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00001645, author = {河原田, 康史 and KAWAHARADA, Yasushi}, journal = {京都産業大学日本文化研究所紀要}, month = {Mar}, note = {宮崎友禅斎は、洛東の知恩院門前辺りに居住し、天和~享保(1681~1736)頃に活躍した。友禅斎は「絵扇」で一躍有名になり、その絵模様を「小袖」にも描いた。友禅斎の名前にちなみ、現在では「友禅染」という名称が、広義では「キモノの染物全般」を、狭義では「挿し彩色」を指して用いられることが多い。友禅斎については、生没年や生没地、妻子の存在、加賀友禅との関係などにおいて不明な事柄が多い。  本論文では、宮崎友禅斎の「没年・没地」を中心とした晩年について、2回にわたり訪れた石川県金沢市にある「曹洞宗祥雲山龍国寺」の現地調査を交えて論じる。現地調査を検討した理由として、龍国寺にある「友禅斎の墓石」が本物であるなら、友禅斎は晩年に金沢で過ごしていたことを証明できるからである。そのための手段として「友禅斎の墓石」から「拓本」の採取を行い、「拓本」を介して判読できる文字を確認することにした。  本論文の構成として、最初に宮崎友禅斎の「没年・没地」を中心とした晩年に関する先行研究の問題について整理し、次に2回にわたる龍国寺の現地調査について述べる。そして、現地調査と先行研究における友禅斎の晩年・没年などの史料を基に、新たに明らかになったことや疑問に思ったことを、龍国寺のご住職への質疑応答を交えて整理する。最後に、曹洞宗の戒名や法統を整理した後、「友禅斎の戒名」について考察を加えて、「友禅斎の墓石」の「拓本」を介して判読できた文字を中心に調査結果をまとめる。}, pages = {287--232}, title = {宮崎友禅斎と友禅染 : 友禅斎の墓石について}, volume = {20}, year = {2015} }