@article{oai:ksu.repo.nii.ac.jp:00002488, author = {内田, 健一 and UCHIDA, Kenichi}, journal = {京都産業大学論集. 人文科学系列}, month = {Mar}, note = {ダンヌンツィオは『死の勝利』の序文(1894年)で,心理学的な観点から,古い宗教的著作への強い関心を表明する。『岩窟の乙女たち』(1895年)では,中盤以降にキリストの再来とされる聖フランチェスコが登場する。  主人公クラウディオは,モンターガ家の暗さや修道院の冷たさに対抗して,聖人の『兄弟である太陽の讃歌(カンティコ)』や彼の伝記『小さな花』に言及しながら,太陽の下の自由と自然への愛を讃える。作中の聖フランチェスコは,作者ダンヌンツィオの姿が投影されており,宗教家というよりも詩人に近い。  現実の恋愛関係に基づいた『火』(1900年)で,架空のカップルはフランチェスコ会修道院を訪問する。女優ドゥーゼをモデルとするフォスカリーナは,そこで解放感を覚え,夢中になって自然と触れ合う。彼女は貧しくとも清らかな修道院を,欲望が渦巻く都会と対比する。一方,ダンヌンツィオの分身であるステーリオは修道院を認めようとはしないが,聖人には崇敬の念を抱く。1897年のアッシージ体験でも,二人の態度には差があった。  1899年,雑誌に掲載された『空と海と陸と英雄の讃歌(ラウディ)』初物5つには,「讃える」および「讃歌」というキーワードが繰り返し現われ,内容的・形式的に『カンティコ』と多くの共通点がある。多神教的な世界に属する「私」は,自然そのものを神として讃歌を捧げる。儚くも美しい自然の描写の幾つかは,ドゥーゼとの実体験に基づいている。また,ダンヌンツィオは『カンティコ』のプリミティヴな美を模倣して,『ラウディ』に母音韻などの不規則さを導入し,古めかしさが逆に新しく感じられる音楽性の表現を目指した。  1900年,ダンヌンツィオは『ラウディ』の幾つかを,「女神の讃歌」として丁寧に手書きし,ドゥーゼに贈った。これ以降の作品の内容は,中世キリスト教的というよりも古代異教的である。飽くなき欲望を抱く「私」は,自然をその多様性ゆえに讃え,その中心にいる自分自身をも讃える。この傲慢さは,聖フランチェスコの慎ましさとは相容れない。1902年夏,ドゥーゼとのロメーナ滞在中に執筆された作品には,聖フランチェスコ的なモチーフがまた多くなる。彼本来の古典主義も顕著ではあるが,それだけではなく,聖人に関する思想の深まりも感じられる。平和への憧れと,自己の欲求との葛藤から解放されるために,ダンヌンツィオは限りなく自然に近づくことを目指す。その結果,彼は『波』という純粋な自然の讃歌に到達した。}, pages = {337--365}, title = {ダンヌンツィオ『讃歌』における聖フランチェスコの影響 : 宗教的思想と文学的形式の合流}, volume = {50}, year = {2017} }