WEKO3
アイテム
京都におけるカンディンスキー受容
http://hdl.handle.net/10965/276
http://hdl.handle.net/10965/2767c8e67b4-6b42-4719-a778-39ca4f935b4b
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
![]() |
|
Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2017-09-30 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 京都におけるカンディンスキー受容 | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | The Reception of Kandinsky in Kyoto | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 京都 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | カンディンスキー | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 小笠原秀實 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 園頼三 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 中井宗太郎 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Kyoto, Kandinsky | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Ogasawara Hidemi (Shûjitsu) | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Sono Raizô | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Nakai Sôtarô | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
井尻, 樂
× 井尻, 樂 |
|||||
抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | 抽象絵画の先駆者といわれるワシリー・カンディンスキー(1866-1944)の日本に於ける受容は,1912年(明治末年・大正元年),ポスト印象主義受容に熱心であった東京の美術批評界を中心に始まった。しかし,1910年代後半,それまでの紹介中心的な受容とは一線を画し,京都の若き美学・哲学の研究者たちが中心となって,カンディンスキーを総合的かつ分析的に検討しようとする動きが現れる。本論稿は,当時,ヨーロッパにおいてすらも疑問視され,波紋を巻き起こしていたこの画家の,1910年代後半の京都における受容の実相を,彼らの論稿を詳細に検証するのみならず,受容土壌としての京都をも考察の視野に入れ,明らかにするものである。 小笠原秀實,植田寿蔵,園頼三ら,京都の若き哲学・美学の研究者たちによるカンディンスキーの受容研究は,「内的必然性」や「内的な響き」というカンディンスキーの中心概念の重要性を認め,一様にカンディンスキーの芸術論を検討することによって,この画家の前衛的な作品の理解にいたろうと試みたものであった。絵画における自然性の問題(植田),詩作からのアプローチ(小笠原),また,総合芸術論からの理解(園),と多方面から真摯にカンディンスキー芸術と対決したにもかかわらず,その中身を分析検討してみると,理論は肯定的に受け入れられるものの,作品への理解は,抽象化以前の作品理解にとどまり,それ以降の作品には,概して否定的な見解が与えられてしまうというアンビヴァレントな受容像が浮かび上がる。しかし,彼らは哲学的な立場から綿密に検証をすすめ,一様にカンディンスキー芸術を何らかの「象徴」として捉え,絶対的な哲学的根拠付けを試みるのであるが,結局,それは一律,絶対的根拠付け不可能,という答えへと行き着く。しかしこれは逆に,カンディンスキーの芸術が,旧来の統一的な伝統的価値観崩壊以降に位置する芸術であるということを,逆説的に証明しているとも言えるのである。 また,一般に保守的とも言われる京都において,前衛的な画家の受容研究が集中的におこった背景には,この当時の京都画壇の新たな動きと,それを支えた中井宗太郎の存在,また学者や若い芸術家を目指す者たちとの活発な議論の「場」が形成されていたことに加えて,京都大学に美学美術史講座が設立されるという,受容土壌の変革と新たな精神的思潮があったと考えられる。 |
|||||
書誌情報 |
京都産業大学論集. 人文科学系列 巻 34, p. 40-73, 発行日 2006-03 |
|||||
出版者 | ||||||
出版者 | 京都産業大学 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 0287-9727 | |||||
書誌レコードID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN0006019X | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |