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  1. 01 本学刊行物
  2. 01-001 京都産業大学論集.人文科学系列
  3. 01-001 第36号

カンディンスキー受容最初期の考察 : 1912/大正元年頃の内と外

http://hdl.handle.net/10965/295
http://hdl.handle.net/10965/295
0cd07bff-8eaf-42f7-bcb9-bfec61f404aa
名前 / ファイル ライセンス アクション
AHSUSK_HS_36_62.pdf AHSUSK_HS_36_62.pdf (1.7 MB)
Item type 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1)
公開日 2017-09-30
タイトル
タイトル カンディンスキー受容最初期の考察 : 1912/大正元年頃の内と外
言語 ja
タイトル
タイトル On the Early Period of Kandinsky's Reception : Inner and Outer Aspects of around 1912(Taisho 1)
言語 en
言語
言語 jpn
キーワード
主題Scheme Other
主題 カンディンスキー
キーワード
主題Scheme Other
主題 木下杢太郎
キーワード
主題Scheme Other
主題 石井柏亭
キーワード
主題Scheme Other
主題 1912(大正元)年
キーワード
主題Scheme Other
主題 白樺派
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Kandinsky
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Kinoshita Mokutaro
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Ishii Hakutei
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 1912(Taisho 1)
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Shirakaba-ha
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_6501
資源タイプ departmental bulletin paper
著者 井尻, 樂

× 井尻, 樂

WEKO 3330

ja 井尻, 樂

en IJIRI, Raku

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 本論は,ヨーロッパに於いてすらも疑問視され,波紋を起こしていたカンディンスキーの芸術が,ほぼ同時代の日本において,一体どのような文脈のもとに受容紹介されはじめ,解釈されたのか,その実相を,木下杢太郎と石井柏亭の評論文を中心に検証するのみならず,受容土壌としての東京の美術批評界をも視野に人れながら,受容最初期である1912-13年頃に焦点をあてて考察するものである。
 カンディンスキー受容は,東京を中心に,多くは海外へといち早く渡航していた者たちからの最新情報の形で幕をあける。最初期の段階では,カンディンスキー芸術そのものの検討というよりは,むしろ,ヨーロッパのさまざまなイズムの紹介の中の一環として,具体的には,「非自然主義的傾向」という印象派以降の新たな美術運動とひとくくりに,その最も「極端」な傾向として紹介されたのである。この傾向を紹介した木下杢太郎と石井柏亭は,カンディンスキーの芸術論を「批評」という場において,日本において西洋画の影響を受けていた作品を解釈,批評するための一指標として扱っていた側面が強く,特に木下は,「最新派の批評家」としてカンディンスキーの画論に注目し,これを美術批評のみならず,広く文芸批評の判断基準として援用してゆくのである。この段階では,カンディンスキー芸術への直接的な対時という姿勢までは読みとれない。しかし,カンディンスキーの理論と作品は,受容当時,フュウザン会の画家たちや白樺派の同人たちによるポスト印象派の無批判的な受容に対し,きわめて批判的かつ冷静な立場をとっていた石井と木下とによって,「フュウザン式」の作風と理論であるとして紹介されたために,結果的に両者が批判的に考察をおこなったはずの「フュウザン式」主観主義芸術と同一視されて,受容紹介されることになったのである。いうなれば,カンディンスキーの芸術理論は,白樺派の人生論的・人格主義的芸術観を背景に,当時,もっとも熱烈に受容紹介され浸透していたポスト印象派に対する解釈基準に取り込まれながら受容されていたのである。しかし1911-12年を分水嶺として,ポスト印象主義的な作風から,抽象的な非再現的絵画へと急激に変転していったカンディンスキーの作品は,その解釈基準の外に位置し,ヨーロッパにおいてすらもそうであったように,その理解の枠組みを大きく超えていたのである。
 カンディンスキーが受容された1912年,抽象へと飛躍する以前にカンディンスキー自身も根ざし,影響を受けていた印象派以降の美術潮流と,それを成立させていた必然的な基盤とが,白樺派的に解釈され,「皮相上滑り」ながらも徐々に内容をともなって日本に定着し,いわば虚構的必然として,カンディンスキー芸術を受容する土壌を日本に形成していたことがあきらかとなる。しかし,作品に対する感覚的な拒絶反応とは裏腹に,カンディンスキーの芸術理論は,総じて肯定的に受け止められてゆく,という1910年代受容史像の源流は,こうした当時の日本的精神風土を背景に,受容端緒の1912-13年の時点で,すでに運命づけられてゆくことになるのである。
書誌情報 京都産業大学論集. 人文科学系列

巻 36, p. 62-92, 発行日 2007-03
出版者
出版者 京都産業大学
ISSN
収録物識別子タイプ PISSN
収録物識別子 0287-9727
書誌レコードID
収録物識別子タイプ NCID
収録物識別子 AN0006019X
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
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Ver.1 2023-05-15 15:15:47.299375
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