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漱石とコルタサルの男性人物について : 『それから』と『石蹴り遊び』における三角関係の恋
http://hdl.handle.net/10965/765
http://hdl.handle.net/10965/765284dbdda-e172-4148-985e-81421822f8cc
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2017-09-30 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 漱石とコルタサルの男性人物について : 『それから』と『石蹴り遊び』における三角関係の恋 | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | On Soseki and Cortázar’s male characters : Love triangle in “And Then” and “Hopscotch” | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 漱石 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | コルタサル | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 比較文学 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 高等遊民 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 三角関係の恋愛 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Soseki | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Cortázar | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | comparative literature | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | educated idlers | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | love triangle | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
今井, 洋子
× 今井, 洋子 |
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抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | これまで漱石(1867–1916)とコルタサル(1914–1984)の比較を様々な観点からしてきた。二人の英文学教師時代の講義や,ともにポーの影響を受けて書いた作品の類似点や,世紀末絵画の影響が強く見られる二人の作品の女性人物の系譜などを分析してきた。本論では,両作家の思想をより濃厚に反映している男性主人公を中心に分析し,その類似点及び源泉,さらに両作家が男性主人公に託して何を伝えようとしたかを考察してみたい。特に,『石蹴り遊び』については,コルタサルの死後公表された「創作ノート」を解読することによって人物造型の過程及び「作者」の元々の意図に迫ってみる機会が得られた。 『それから』の主人公代助と『石蹴り遊び』の主人公オリベイラは,ともに父や兄に経済的に依存して生きる「高等遊民」である。代助は文明開化後の社会のあり方を批判し,オリベイラも西欧文明に疑問を抱いている。オリベイラはパリでラ・マガという「絶対」を象徴する女性に出会うが,或る日忽然と姿を消した彼女を探して彼の彷徨が始まる。 代助は,親友平岡の妻三千代に自分が見失ってしまった「自然」を見出し,彼女に愛の告白をする。又オリベイラは,親友トラベラーの妻タリタにラ・マガの面影を見て,彼女に魅かれ始める。ここに見事な相似形を描く「三角関係の恋愛」が始まるのだが,問題は主人公たちが彼女たちを真に人として愛したのではなく,実際は彼らの愛は自己救済のためのエゴイスティックなものだったことである。つまり,彼らは「他者の痛み」を知ろうともしていないと云えるのである。 漱石とコルタサルは,なぜ知識人でありながら,ある意味で未熟な人物を造型したのか。これは彼らの自己批判もこめた同時代の近代知識人への渾身のメッセージなのである。「体制や文明を疑う」「愚かな行為も恐れない」「他者の痛みを知る」「答えは自分で出す」というメッセージが年代を超えて,とりわけ今も若者に受け入れられているのであろう。 |
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書誌情報 |
京都産業大学論集. 人文科学系列 巻 45, p. 147-164, 発行日 2012-03 |
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出版者 | ||||||
出版者 | 京都産業大学 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 0287-9727 | |||||
書誌レコードID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN0006019X | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |