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ドゥルーズ哲学と言語の問題 : 『千のプラトー』におけるイェルムスレウ言語学の意義と射程
http://hdl.handle.net/10965/906
http://hdl.handle.net/10965/90618fd81ce-c816-4310-8185-a5cc3d6b8dbb
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2017-09-30 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | ドゥルーズ哲学と言語の問題 : 『千のプラトー』におけるイェルムスレウ言語学の意義と射程 | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | Deleuze’s Philosophy and Problems of Language : On the Meaning and Extent of Hjelmslev’s Linguistics in A Thousand Plateaus | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | ドゥルーズ | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | イェルムスレウ | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 言語の二元性 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 表現と内容 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 形式と実質 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Dele uze | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Hjelmslev | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | duality of language | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | expression and content | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | form and substance | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
小林, 卓也
× 小林, 卓也 |
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抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | 本稿の課題は,フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと,精神分析を専門とするフェリックス・ガタリとの共著『千のプラトー』(1980)に見いだされる言語観の内実とその射程を明らかにすることである。彼らが端的に述べているように,「あらゆる言語(langue)は本質的に非等質的な,混合した現実である」。しかし,チョムスキーによる生成文法を念頭に置きながら,言語学はこうした言語現象の多様性に目を向けようとせず,文法規則や言語の等質的体系性を抽出することだけに終始しており,そこには,われわれの多様な言語活動を均質化し規格化することで,自らの科学性を担保する政治的関心しかないと彼らは批判する。ここには,言語を異質な要素からなる多様体とし,その多様性をいかに捉えるのかという彼らの企図が明瞭 に現れている。本稿は,こうした彼らの言語観がどのような問題意識と結びついているのかを 以下の手順で明らかにする。 まず,『千のプラトー』において彼らがジョン・L・オースティンの発話内行為に見出した論点を確認し(第一章),それが60年代のドゥルーズ哲学の延長上にあることを指摘する(第二章)。というのもドゥルーズこそ,言語の本質を,身体や行為といった物理的なものと,それによって表現される意味や出来事といった非物体的なものの二元性という論点から考察していたのであり,『千のプラトー』の主眼は,その言語の二元性の連接をいかに捉えるのかということにあるからだ。こうした論点からすると,注目されるべきは『千のプラトー』において ルイ・イェルムスレウが占める役割である。イェルムスレウ言語学における表現と内容の連帯性,および形式と実質という概念の導入は,言語における二元性への問いに一定の回答を与えている(第三章)。最後に,彼らの議論がいわゆる言語理論の枠内に留まることなく,とりわ け彼らがミシェル・フーコーと共有するある歴史認識と結びついていることを確認し,その理論的射程を特定したい。 |
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書誌情報 |
京都産業大学論集. 人文科学系列 巻 46, p. 181-194, 発行日 2013-03 |
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出版者 | ||||||
出版者 | 京都産業大学 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 0287-9727 | |||||
書誌レコードID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN0006019X | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |