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  1. 01 本学刊行物
  2. 01-002 京都産業大学論集.社会科学系列
  3. 01-002 第23号

ポーランド・西ドイツ関係正常化基本条約と国境画定問題

http://hdl.handle.net/10965/405
http://hdl.handle.net/10965/405
42288024-cf3c-45ef-a7df-2c3bc98d303c
名前 / ファイル ライセンス アクション
AHSUSK_SSS_23_99.pdf AHSUSK_SSS_23_99.pdf (93.0 kB)
Item type 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1)
公開日 2017-09-30
タイトル
タイトル ポーランド・西ドイツ関係正常化基本条約と国境画定問題
言語 ja
タイトル
タイトル Dispute over demarcation between Poland and West Germany : In relation to the Treaty of Normalization of 1970
言語 en
言語
言語 jpn
キーワード
主題Scheme Other
主題 ポーランド問題
キーワード
主題Scheme Other
主題 オーデル・ナイセ国境
キーワード
主題Scheme Other
主題 ゴムウカ
キーワード
主題Scheme Other
主題 ブラントのゲットー跡の跪拝
キーワード
主題Scheme Other
主題 ポーランド・西独関係正常化
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Poland
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Oder-Neisse border
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Gomulka
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Brandt’s kneeling down
キーワード
言語 en
主題Scheme Other
主題 Polish-W.Germany relations
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_6501
資源タイプ departmental bulletin paper
著者 松川, 克彦

× 松川, 克彦

WEKO 15186

ja 松川, 克彦

en MATSUKAWA, Katsuhiko

Search repository
抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 拙稿は1970年に締結され、オーデル・西ナイセの境界を戦後はじめて正式な国境として承認したポーランドと西ドイツ関係正常化基本条約、及び締結に至る経緯を扱う。この条約はポーランドにとってのみならず、ヨーロッパ全体の安定のためにも不可欠の条約であったにも拘らず、その背後には歴史的な対立が存在したため締結までに25年という歳月を要している。
 冷戦期、ドイツは東西に分裂していたにもかかわらず、ポーランドとの新しい国境を認めないという点では一致していた。二つの国家に分断されたとはいえ、ポーランドに対しては共同歩調をとり得たのである。東ドイツは、社会主義国としてポーランドと同じ陣営に属していながら、その望むところは戦前の旧国境の回復であった。しかし東ドイツは1950年にソ連からの圧力によって、この国境を承認せざるをえなかった。問題は西ドイツだった。ポーランドは、西ドイツからの承認が得られない限り、自国の存立の基盤、安全の保障に支障があったのである。
 敵対的な両国の関係に転機をもたらしたのは、新たに西ドイツ首相となったブラントであった。東側との和解を求めんとするブラントは1970年にワルシャワを訪問して、国境承認に関する条約に調印したが、その際ゲットーの跡の記念碑に詣で、そこにひざまずいたのである。ポーランド側にとって誠に好都合なジェスチュアであると思われたのであるが、同国はブラントのこの行為に困惑した。ひざまずいている写真を国内で報道することを一切許さなかった。
 その理由は、直接にはブラント訪問の三年前、ポーランド社会主義政権が始めたユダヤ系ポーランド市民排斥の動きに抗議して学生、労働者がおこした反体制運動と関連している。ポーランドの共産党第一書記ゴムウカは、ブラントがこれらユダヤ人を支援するとの意図を持つのではないかと疑った。
 また社会主義陣営内では一般国民に向けて、西ドイツとは即ち「アメリカ帝国主義の手先」であって、常に報復を企てている悪辣な国家であるとの宣伝を行っていた。ここでブラントがひざまずいた写真を公表するならば、従来の西ドイツに関する説明は、根拠が薄弱となることを認めなければならない。写真を公表しなかったのはそのためでもある。
 ゴムウカは破綻しかかっている社会主義の経済、全体主義的な支配にたいする国民の不満をさらに覆い隠すためにも、真実を発表できなかったのである。しかし、発表しなかったことによっても政権は救えなかった。ブラントのこの行為は結局、社会主義専制体制の崩壊へとつながっていく。ポーランドを取り巻く列強の思惑、東ドイツとの関係に触れながら、以上の点を明らかにする。
内容記述
内容記述タイプ Other
内容記述 1.はじめに
2.ポーランドの東西国境形成と列強
3.オーデル・ナイセ境界と西ドイツ
4.ゴムウカとウルブリヒトの反目
5.ポーランド・西ドイツ関係正常化へ
6.ブラント訪問の波紋
7.まとめとして
書誌情報 京都産業大学論集. 社会科学系列

巻 23, p. 99-125, 発行日 2006-03
出版者
出版者 京都産業大学
ISSN
収録物識別子タイプ PISSN
収録物識別子 0287-9719
書誌レコードID
収録物識別子タイプ NCID
収録物識別子 AN00060189
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
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Ver.1 2023-05-15 15:42:29.705701
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