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1989年体制転換とポーランドの対ロシア、ドイツ人意識の変化
http://hdl.handle.net/10965/407
http://hdl.handle.net/10965/4074b6b3976-e175-4ebc-895b-ca513a4e57b2
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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AHSUSK_SSS_24_113.pdf (544.8 kB)
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2017-09-30 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 1989年体制転換とポーランドの対ロシア、ドイツ人意識の変化 | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | System transformation of 1989 in Poland and the change of consciousness toward German and Russian | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | ポーランド | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 体制転換 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | ロシア人 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | ドイツ人 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 日本人 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Poland | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | system transformation | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Russian | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | German | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Japanese | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
松川, 克彦
× 松川, 克彦 |
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抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | ポーランドはじめ東欧10カ国は2004年にEUに加盟し、名実ともにロシアによる直接の支配を脱した。東欧がヤルタ会談、ポツダム議定書によってソ連の権益範囲に含まれてから、実に60年の年月が経ったあとのことであった。このような変化は、1989年にポーランドではじまった共産党の独裁に対する反乱から始まったのである。「連帯」という名称をもつ労働組合が始めた反乱の成功は、ローマ教皇、アメリカ、西ヨーロッパ諸国の支援のあったためでもある。 「連帯」運動の盛んだった1980年代から90年にかけて、ポーランドの労働人口のほとんどすべてである、全人口の1 / 3 がこの運動に直接加わっていたと言われる。したがって共産主義政府も弾圧のしようがなく、1989 年6月には自由選挙を行うことを認め、敗退し、その結果社会主義国家の終焉となったのである。ここにいわゆる民主主義的な政府が誕生することになる連鎖反応が東欧全体に起こるのであるが、ポーランド人はソ連による支配を「脱した」ことを喜びながらも、意識の奥では不安を抱いていた。それは良くも悪しくも60年間続いた体制の崩壊に伴う犠牲が避けられないと思うところからくるものであった。 変化は社会生活のすべてにわたったのであるが、本小論で扱おうと思うのは、両隣国ドイツ及びロシアに対する意識の変化である。それは、この体制転換とどのように関連していったのだろうか、ということである。 戦後のポーランド社会主義政府は自国民の意識を統一するために、ドイツに対する警戒と、ソ連を中心とする社会主義ブロックにたいする信頼を作り出そうとしてきた。特に重視したのが歴史教育であった。その方法は、最も重大な事実は隠蔽しながらも、些細な部分では秘密も明らかにすること、社会主義イデオロギーの基本路線の正しさは堅持しつつも、誤謬は人の犯すものとして柔軟に、巧妙に進めていくことであった。こうしてポーランド社会主義政府は、戦争による被害をソ連、ドイツの双方から被っているにもかかわらず、ドイツの非のみをならし、警戒を呼びかけて国民をその方向に導いていったのである。 ドイツに関して国民は終戦直後から、一貫して政権の意図どおりの反応を示していたが、ソ連についてこうした意識操作が効果を現してきたのは1970年代後半から、80年代にかけてのことであった。それまで嫌悪されていたロシア人は、この時期はじめて好ましい民族の第一位に浮上するのである。その際連動するかのように、日本人にたいする好意も上昇してくるのである。 本論は、戦後のポーランド史の重要な局面をたどりながら、ポーランド人の対ドイツ、対ロシア人意識がどのように変化してきたかということを眺めるものである。 |
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内容記述 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 1.はじめに 2.第二次大戦後の国境変更と「祖国」 3.対独対ソ意識の変化 4.ポーランドの対ロシア友好プロパガンダ 5.ソ連への信頼の高まりと日本についての評価 6.対日感情の変化の理由 7.国際関係的見通し 8.おわりに |
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書誌情報 |
京都産業大学論集. 社会科学系列 巻 24, p. 113-137, 発行日 2007-03 |
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出版者 | ||||||
出版者 | 京都産業大学 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 0287-9719 | |||||
書誌レコードID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN00060189 | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |