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日米戦争勃発と山本五十六に関する一考察
http://hdl.handle.net/10965/1060
http://hdl.handle.net/10965/1060c93b512e-6939-4732-85df-9d6d9f8c96db
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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AHSUSK_SSS_31_249.pdf (530.7 kB)
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||
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公開日 | 2017-09-30 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
言語 | ja | |||||||||
タイトル | 日米戦争勃発と山本五十六に関する一考察 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
言語 | en | |||||||||
タイトル | The origins of the Japan-U.S. War and Adm. Isoroku Yamamoto | |||||||||
言語 | ||||||||||
言語 | jpn | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 日米開戦原因 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 連合艦隊司令長官山本五十六 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 真珠湾奇襲攻撃 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 永野修身軍令部総長 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | シュリーフェン・プラン | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | en | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | Japan- U.S. War | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | en | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | Commander- in- Chief | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | en | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | Combined Fleet Admiral Isoroku Yamamoto | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | en | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | sudden attack on Pearl Harbor | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | en | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | Chief of Naval General Staff Osami Nagano | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | en | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | Schlieffen Plan | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||
著者 |
松川, 克彦
× 松川, 克彦
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抄録 | ||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||
内容記述 | 山本五十六提督はアメリカ駐在武官も勤め、同国の実力を熟知していたが故に、アメリカとの間の戦争に反対であったといわれている。したがって日独伊三国同盟にも反対であった。しかしながら、日米関係が緊張してくると、アメリカ太平洋艦隊の基地真珠湾を攻撃する計画を作成、その計画実現に向けて強引な働きかけを行った。 これをみると、山本は果たして本当に平和を望んでいたのかどうかについて疑問が起こってくる。一方で平和を望みその実現に努力したと言われながら、実際にはアメリカとの戦争実現に向けて最大限の努力を行った人物でもある。 本論は山本が軍令部に提出した真珠湾攻撃の計画が実際にどのようにして採択されたのか。それは具体的にはいつのことなのか。またその際用兵の最高責任者、軍令部総長であった永野修身はどのような役割を果たしたのかについて言及する。これを通じて、もし山本の計画が存在しなければ、あるいはこれほどまでに計画実現に執着しなければアメリカとの戦争実現は困難だったのではないだろうかという点について論述する。 日米開戦原因については多くの研究の蓄積がある。しかしながら山本五十六の果たした役割についてはいまだに不明の部分が多いと考える。それが、従来あまり触れられることのなかった山本五十六の開戦責任について、この試論を書いた理由である。 |
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書誌情報 |
京都産業大学論集. 社会科学系列 巻 31, p. 249-272, 発行日 2014-03 |
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出版者 | ||||||||||
出版者 | 京都産業大学 | |||||||||
ISSN | ||||||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||||||
収録物識別子 | 0287-9719 | |||||||||
書誌レコードID | ||||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||
収録物識別子 | AN00060189 | |||||||||
著者版フラグ | ||||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |