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漱石とコルタサルの作品の女性像について : 宿命の女(ファム・ファタール)たちはなぜ殺されたのか
http://hdl.handle.net/10965/277
http://hdl.handle.net/10965/277548b1129-3c42-4773-be07-7e183de967f2
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| アイテムタイプ | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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| 公開日 | 2017-09-30 | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | 漱石とコルタサルの作品の女性像について : 宿命の女(ファム・ファタール)たちはなぜ殺されたのか | |||||
| 言語 | ja | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | Sobre los personajes femeninos en las obras de Soseki y Cortázar ¿Por qué mataron a “las mujeres fatales”? | |||||
| 言語 | es | |||||
| 言語 | ||||||
| 言語 | jpn | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 漱石 | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | コルタサル | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 女性像 | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | フェミニズム批評 | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 女性嫌悪 | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | en | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | Soseki | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | en | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | Cortázar | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | en | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | female figure | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | en | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | feminist critics | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | en | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | misoginy | |||||
| 資源タイプ | ||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
| 著者 |
今井, 洋子
× 今井, 洋子 |
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| 抄録 | ||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||
| 内容記述 | 漱石とコルタサルの作品の比較を始めたきっかけとなった『草枕』『石蹴り遊び』の中に見られる“オフェリアコンプレックス”“女性読者蔑視”を出発点として,これら作品の女性像についてフェミニズムの視点から分析する。 本論では『草枕』の那美さん,『石蹴り遊び』のラ・マガに代表される宿命の女たちはなぜ殺されたかを考察した。二人はこれまで男を惹きつけてやまない宿命の女として解釈されてきたが,近年フェミニズム批評によって,オフェリアコンプレックスの分析とともに,男の側の女性嫌悪が暴かれてきた。那美さんもラ・マガもその魔性によって抹消されたのではない。自我を持とうとしたゆえに男の共同体からの排除されねばならなかった。これが,彼女たちが殺された理由の一つである。漱石とコルタサルが生きた時代と場所と文化のコンテクストを考慮すれば,性の描写の違いは当然のことである。しかし,アジアとラテンアメリカからヨーロッパにやってきた知識人の疎外という意味では時代を超えた相似形を示す。つまり,漱石が産業革命後のロンドンに行き,その機械文明に疑問を抱いたように,ポストコロニアルのラテンアメリカからパリに行ったコルタサルは,西欧の論理に疑問を抱くのである。那美さんも,ラ・マガも,西欧の文明に対する“自然”を象徴する。しかし,その自然は西欧文明に“あさはかに”かぶれてしまっていた。これが彼女たちが殺されなければならなったもうひとつの理由である。 |
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| 書誌情報 |
京都産業大学論集. 人文科学系列 巻 34, p. 74-90, 発行日 2006-03 |
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| 出版者 | ||||||
| 出版者 | 京都産業大学 | |||||
| ISSN | ||||||
| 収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
| 収録物識別子 | 0287-9727 | |||||
| 書誌レコードID | ||||||
| 収録物識別子タイプ | NCID | |||||
| 収録物識別子 | AN0006019X | |||||
| 著者版フラグ | ||||||
| 出版タイプ | VoR | |||||
| 出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||